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『エル・サボタージュ』ネタバレ雑感

明日から、
大阪王子出演の劇団ガバメンツ『ライト家族』東京公演が開幕です。
自分は土日参戦なので、もうちょっとガマン。

その前に、アウトプットしておかなきゃならないものがあるのです。
まいくろです。


6月15日に観劇した、
アンドレWS生とドレメンで作り出した物語、
AND ENDLESS presents
『エル・サボタージュ』のネタバレ雑感は書いておきたい。


ナチスドイツ時代のユダヤ人虐殺作戦、
「ラインハルト計画」という史実を下敷きに、
西田さんオリジナルの味付けで描かれた2時間半。

ジュリアンの教会に暮らす少年少女の側、
そしてナチス総統ヒットラー周辺の軍人たちの側から、
「人が人を思う姿」を描いていました。

以下、全体的に観て思ったことをつらつらと。

あくまでも「まいくろの目を通しての解釈」なので、
脚本・演出家や出演者の意図していない方向に
話題が進んでるかもしれません。



↓ ネタバレ注意!



オープニングで出てきたキーワードに
「1931年」があります。
ヒットラーが可愛がっていた
姪の「ゲリ」が亡くなった年です。

作中クライマックスで
いきなり飛び出してくる「ゲリ」という存在。
ウィキペディアなどでは、彼女の死の原因は諸説あるようで。
『エル・サボタージュ』の登場人物、
姿のない存在「エル」と、関わりが深そうな人物です。

まいくろはバカ正直に「エル=ゲリ」だと思ってて。
調べてみたらゲリさん、享年23歳とか。
23歳で死んだはずの彼女が、
その後ジュリアンの教会で
クレアたち少年少女と過ごしてたーって事にして、
おかしくないっちゃあ、おかしくないのかもだけど…

クレアの姉であるレイラが、
エルを「あんた」って言うんですよね。
レイラ自体もが年齢設定どのくらいかわからないのですが、
「あんた」呼びするなら同じ年とか年下とかですよね。
ちょっと年齢的に
エル&レイラが集団から飛び抜けちゃうかな、と。

あと、
クレアがいつもエルと一緒にいる…という話がありました。
そうすると、クレアとエルが同世代って考えるのが自然か。
んで、観劇後の友人との語らいの中で
「エル=ゲリの娘」という説が浮上。
まいくろの脳内もこれで落ち着きました(笑

あとは、ゲリと誰の間にできた子だよ? って話。
この手の発想は苦手だけど、ウィキペディアによると
ヒットラーはゲリのこと姪以上に大事にしてたらしいし、
そっち方向なのかなぁ…と。
史実や脚本家の意図はどうだか知りませんが、
まいくろ解釈の『エルサボ』では、
もうエルは禁忌の子ってことで、
父親にはその存在を知られることなく、
母親には捨てられたという事にしました。残酷物語。
(叔父姪が禁忌かどうかは微妙なラインかもですが、
 2人の年齢差もそこそこあったらしいし)

「エルを殺したの、お姉ちゃんだよね?」のくだりで
クレアが向けた銃(…のかたちにした手)を、
姉のレイラはクレアの喉元に移すんですよね。
だから、
エルは(母・ゲリと同じく?)自殺したのかなって思いました。
んで、レイラはそれを目撃したのかなって。
そしたら、
エルが自殺したときの銃はどっから来た? って話ですけど。

エルと親しかったクレアは受け入れられずに、
脳内で生きていた頃のエルを作りだして、
エルが生きてるかのように振るまっていて、
クレアがこれ以上壊れていくのが見てられないから
姉レイラをはじめ、
周りもそういうことにしてた…みたいな印象。



描かれていた根本は、以前上演した
『四谷怪談』と同じ所に行き着きそうだなって思いました。
自分を救えるのは、自分自身。
そして「自分自身」を形づくるのは、
他者との関わりあってこそ。

そして「演じる」という行為を持ってきたところも
『四谷』と少し似ています。
今回は、教会で暮らす子供たちのレクリエーションとして。
昨今流行の「人狼ゲーム」も、
ちょっとだけ絡んでる感じにして。

『エルサボ』では
「他者を演じることで、その人を知ることができる」
という、
「演じる行為」の効果をはっきり言葉にしてました。
ただ、「演じる行為」にはそれ以外の効果もあり、
そちらについては、
あえて口に出してなかったように思えました。

今回の作品はナチスドイツ時代の設定ですが、
直接暴力表現はほとんどありません。
だけど、生ぬるい印象は受けませんでしたねー。
むしろそういう表現をしないことで、
「隣の人がフッと居なくなる」あっけなさ、
そして明日がやってくる…という残酷さを感じました。

友人からの事前情報でナチスものと知っていたので、
ダンスの口ぱくぱくは、ガス室っぽかったです。
それとも「生きにくい世で、もがく魚」のイメージかな。

透明な板を顔の前にかざしていたのは、
「鏡に映った自分」の表現だったり、
「自我にかぶせる蓋」だったり、
ユダヤ人とそうでない人の「境」だったり、
ガス室の「壁」だったり…と解釈。

あと、二枚重ねた板から、一枚抜くシーンがありましたね。
あれは「他者に自己の魂を投資する」の印象を受けました。
関わり合った他人の中に、
死後も思いを、人格を、魂を残す。
作中でも、ユリウスの言葉にありました。
「たとえ死んでも、
 私たちは諸君の大きな幸福の中に生き続けるだろう」って。

作中のとあるシーン、洋二郎さんのセリフを聞いたとき、
この公演の特設ページの背景の、ぬけるような青空を思い出しました。



どうやら『エルサボ』は、
今期WS生達の卒業公演扱いだったそうです。

みんなが命をかけて演じた姿を観て、
彼らの魂の一部が自分に残ったような気がしました。

卒業おめでとうございます。
あの世界を創れたみんななら、これから何処にでも行ける。
そう思います。
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