『炎の人』観てきました

市村正親主演。銀河劇場。
もちろんチケット高い。
でも絶対S席で観たかったんですコレ。
もうしばらく贅沢できないな…
まいくろです。



画家ヴィンセント=ヴァン=ゴッホの生き様を描いた作品。
再演です。
初演は観ておりません。
ロートレックやスーラ、ベルナールという画家たちも(一部は名前だけだけど)登場。
以前に観た西田さんの脚本、
『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット』がいい感じに思い出されつつ。
『炎の人』のロートレックは、
むしろあっちのゴッホに近いかも(笑


変人と天才は紙一重、と常々思っています。
そしてその二つを隔てるのは「理解者」だ、とも。

「社会」や「秩序」は、
大多数が生きやすくあるためにあるもので、
どうやっても全員に当てはめられるものじゃない。


この作品のゴッホはそんな世界で、
自分の中にある「もの」を持て余し、それに振り回され、
他人にぶつけ、
塗り込め、遊ばせています。

人を愛したり、人を傷つけたりしています。


人を愛しく思うあまりに、
尽くしすぎて悩みすぎて身体と魂をすり減らす。
ひとたび熱中すると視野が狭まって、
また身体と魂をすり減らす。
ゴッホの愛情は、
深すぎて重すぎだと思います。
彼の愛情と同じだけの愛を彼に注ぐ相手は、
なかなかにおりません。
ゴーギャンも、たしかに彼を愛してたとは思うんです。
もちろん理解者でもあった。
だけどゴッホは重すぎたんだろな…。
天秤がつりあうことがなかったんだろな。


ゴッホの弟テオは、
自分の人生の半分以上を兄に捧げていました。
ゴッホは援助を受けながらも、
社会に認められない自分を不甲斐なく思い、苦悩します。
ゴッホは生真面目で、
「俺を理解できない世間がバカなんだ」と開き直ることもできません。

ゴッホ中心の作品ゆえか、
テオの心情をあえて詳細に描いていない様子。
テオは兄を最期まで支えました。
それは愛なのだけど、
ゴッホにとってもテオにとっても枷だったのかな。


作中でゴーギャンが、
「見たままをあらわすのは写真に任せる」
「俺は見たものを俺の感性で描く」
てなことを言ってました。

上記の考え方に、まいくろはまるっと同意。
たしかに絵とか文章ってそういうものだよな~。
そして「俺の感性」で描かれたものを、
観客は「それぞれの感性」で観賞するわけです。
だから受け取るものは人それぞれ。
だから楽しいんですよ。


頭のなかに伝えたいことががあふれでてくるのに、
既存の言葉に表しきれず、
またそれが相手に上手く伝わらない…というのがまさに私の考えている「天才」という存在です。
市村正親が演じたゴッホは、まさにそれ。

なにかが降臨したのを目撃した気分でした。
ファンタジー要素は何一つなかったのに、
なんだろう、この非日常感。


ゴッホのなかにあったものは、
ゴッホという人間の器だけでは対処しきれないうねり。
彼は絵にそれを刻みつけて、生きて死にました。
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