落チ語リ『紫屋歌麿』ネタバレ雑感(3/3)

前回(末広湯)座ったのは音野くん側だったので、
今度は逆の彩子さん側に着席。
彩子さん側でも、音野くんの「あの表情」が
見えるところをキープするのは忘れません(笑

お隣の席に知ってる人が座ってくれて、
その方は今回の「やまちゃん公演」が彩遊戯初見。
舞台を観つつ、視界の端で初見の人の反応も見れるという
私としてはウハウハな席でした(笑

終演後には、支離滅裂なアンケートを書きつつ、
彩子さんから9月6日(日)にやるという
次回公演『ほらふき写真』のチケットも買いまして。

終演後に会場をそのまま解放していて、
作品について聞きたいことを聞けたのもいい機会でした。
(とても納得のいく理由をいただけました)
こんどは彼女一人で何人やるんだろう。
すごく楽しみです。

音野くんはすでに次回公演(5月20~24日)の
黒雪構想『蝶(キミ)が夢で舞うときに』の稽古中。
…彼には「芝居をしてない時間」というものが存在するのか?


彩遊戯(いろどりゆうぎ)の落チ語リ
『紫屋歌麿 ~むらさきやうたまろ~』

最終回、3回目です。

*あくまでも、私の目を通して観た感想です*


↓ ネタバレ注意!



歌麿が重三郎と会わなくなってからしばらくして、
江戸では
「写楽の絵からいのちが消えた」
という言葉が聞こえるようになります。

もちろん歌麿も絵描きですから、当然気づいています。
まるで、別人が描いた絵だ…と。
気になるけど、あんな別れかたをした手前
重三郎の元にのこのこ行くのは気が引けるし。
(この辺の語り部と歌麿の混合具合もいい感じ)
そんな気持ちを抱えながら、
別の版元の世話になって絵を描き続けていたころ。
草木も眠る夜中の話。

このあたりで、
音野くんがふっと佇まいと表情を変えるんですが、
この辺まで観てると客席ももう慣れたもので
「あ、一九が来た」ってわかるんですよね。

「人間の活動する時間じゃねーぜ、出直しな」という
歌麿の返答を無視して戸を叩く音は続きます。
(…一九がノック…)

「遠慮がちな割にしつけぇんだよなぁ」とぼやきながら
戸を勢いよく開けると、そこには驚きおびえた顔をした一九。
なんで訪ねてきたくせにビビってるのか(笑
そして号泣です。真夜中です。近所迷惑です。
泣きながら「わ゙だじばぁ゙!」みたいな事言ってて、
「号泣会見か!」「前回よりパワーアップか!」と、
結果として2度とも吹き出してしまい、
実は直視できてなかったりします(笑

一九って、下手に出てるくせになんというか…
周りの事情、そっちのけなことありますよね。
これの前に音野くんが演じてた『山茶花』の侘助という人物と
顔は似てるのに性質はほぼ逆で、面白いです(笑

ここでの、
「本日は中身だけで参りました~」の話とかも好きですねぇ。
「お祓いって聞いて泣くってぇことは、
 自白と解釈してかまわねぇんだな?」
「かまいます!(ノДT)」 ってやつ。
なんだろな、こういう余裕のないはずなのに
小話みたいのが入るところが私の笑いのツボを刺激します。

泣きわめく一九を落ち着かせて、現況報告。
一九は、歌麿の住処は知らなかったけど
歌麿が出していた絵はいつもチェックしたようで、
絵の人物が着ている紫色についてずっと気にしていました。
彼女が使っていた染料は「露草」。
色あせやすい繊細な色で、版元は当然嫌がりますが、
そこは売れっ子の特権として押し切って使っていました。

紫に頼まれたから、って話になって。
露草の紫色は、姉の紫みたいな色だ、って嬉しげに語る歌麿。
一九ね、紫のことを「~な方でしたね」と言ったり、
「どこに身請けされたんだろう」という歌麿を見て、
「…ん?」みたいな表情をしたりして。

ここで、客席の「もしかして」は確信に変わります。
彼女こそがあの人で、そして今はもう…って。

一九は、歌麿を重三郎の元にひっぱっていきます。



久々に重三郎の元を訪れることになった歌麿。

末広湯では音野くん側に座りましたので、
重三郎が絵を描いている横顔ががっつり見れました。
ここから、歌麿のほうを振り返る重三郎の姿が、
前回の記事に書いた、
「死にそうなのに、生命だけが激しく燃えている」ってやつ。

やまちゃんのときは蛍光灯が末広湯よりも近くて、
私の座った位置もあり顔に影がさすことはなかったのですが、
それでも病的なやつれオーラと鋭い眼光は変わらず。
でも歌麿が来て、へにゃとゆるんだ顔、絵をどかす様子はもう、
なんか、おじいちゃんかってほどに弱々しくて…!
(江戸時代の40代は、
 家督を譲って隠居するくらいの歳らしい)
「万年勝ち組みたいな顔してりゃいいんだよ!」ってな、
そこでも素直になりきれない歌麿の叫びが、
逆に悲痛さを増しています。

「夏の写楽は、秋に死んだ」
「写楽は、紫。ーお前の、ねぇちゃんだ」

言葉としてはっきり聞いてしまうと、やっぱりヘヴィです。
薄々わかっていたけれど、それでも頭を殴られます。
ここで初めて事実を知ることになる歌麿は、なおさら。

感動の再会を演出しようとしたのに、
つまんねぇヤキモチやきやがって…とか、
伏線だったろう、とか、
紫が役者絵を描いて見せに来た時のキラキラした表情の事とか、
あいつは人間を描いてる、とか。

そんな話を聞いて、くしゃくしゃに泣いてしまう歌麿。

紫姉さん、あたしのことそうやって褒めてくれたけど、
姉さんもだって一緒だったんじゃないか…!
あぁそっか、だからあのとき「嬉しい」って言ってたんだね…
やっぱり、姉妹なんだねぇ…つながってるんだねぇ。

…とでも言うような顔だな、って思いました。


自分が写楽を継いで絵を描くという歌麿の提案を断る理由、
「お前が喜多川歌麿だから」というところね。
ここも好きなシーンです。

前に一九が、歌麿の言葉を重三郎に伝えてたシーンがあって、
それを思い出しました。
「私は喜多川歌麿だけど、
 その私をつくったのは重三郎(じゅうざ)だ」
…みたいな発言。

歌麿や一九では、たとえ技法を真似ても、
あくまでも歌麿は歌麿で一九は一九。
写楽のいのちを絵に刻みつけることはできないんです。
もし本人以外で
写楽のいのちに近いものを描ける人が居るとしたら
写楽を絵師にした、
いわば「東洲斎 写楽」の一部である重三郎なのかもなぁ。
そう思っての「俺の仕事(=いのちの使い道)」発言なのかな。

それでも絵師の写楽本人じゃないわけだから、
自分の中から写楽の気配を探して、思い出をたどって…
なるべくその人と同じ環境と心情に立って…
少しでも長く、写楽を生かしておきたい、と。
そして重三郎は憔悴していったんじゃないかな、と。


重三郎は、商売として歌麿たちをプロデュースしてたけど、
けして彼らを「商品」とか「金の生る木」として見ず、
自分が居なくなった後のことまで考えていたのでしょう。

だから重三郎は最初から最後まで、
歌麿を独り立ちさせようとしています。
「お前の絵はまだか」発言や、
一九に「その感覚は大事にしておけ」と
才能を伸ばすような言葉を投げたり。
プロデューサーであり、一人のファンでもあったんだろうな。
そして、時々父親みたいな表情してたりする。


歌麿の、写楽の代わりになる発言を聞いて
「お前は、なんにもわかっちゃいねぇ」
と話を打ち切り、背を向けてこれ以上の会話を拒絶。

一九が、重三郎が呼んでも最初に返事をしなかったのは、
時間稼ぎをするつもりだったんだろうな。
…二度めの重三郎の声を聞いて、
それも無駄なことだなと感づいてたようですが。

ここで、音野くんが一九の顔を見せないのは、
観客の視点を
「重三郎の背中をただ見るしかできなかった歌麿の視点」に
固定する効果もあり、
空間を重三郎と歌麿二人きりとして隔絶する効果もあるなぁ。


引き続き「写楽」の仕事に移る重三郎。
どこからか聞こえる「へたくそ~」という声。

紫です。

ここから始まる紫と重三郎の会話のね、
まー、重三郎の嬉しそうな顔ったらねーーー!! 
これ以上泣かせるのやめてよぅ(TДT)

で、紫(彩子さん)はこの場面で姿を見せません。
聞こえるのは声だけで、
最初は位牌から聞こえたのかなって思ったのです。

でも、なんか重三郎が部屋中を見回してたような気がして。
(この辺は涙で視界が悪かったので、特に私の妄想が多め)
飾っていた写楽の絵と、
そして重三郎がいのちを削って写楽を呼んでいた絵の数々が
写楽=紫のいのちの輪郭をとって、
声を届けてくれたのかなぁと思いました。


紫の「絵師としての確信です」を耳にして、
重三郎は笑い泣き。
こうして「東洲斎 写楽」は
浮世絵の世界から完全に姿を消します。

俺はアイツに「なんにもわかっちゃいねえ」と言っちまったが、
俺も、なぁんにもわかっちゃいなかったんだな…紫よぅ。
…っていう言葉を、
泣き崩れる彼の姿を見ながら勝手に脳内アテレコしてました。
まいくろ轟沈です。


それから長い年月を越えて、
絵を描き続けている歌麿たちの姿が見えます。
相変わらず、紫の着物を絵の中の女たちに着せています。

久々に歌麿の元を訪れた一九も、
ついに江戸で作品を出せるようになっています。

ここの会話もね、ちょっと切ないんです。

重三郎が脚気(かっけ)になって病んでるって話、
これがおそらく一九の今回の本題だったんだろうな、と。
でも、一九も大人になって、
すこぉし、遠回りに伝えてしまった。
歌麿も、見舞い行った方がいいのわかってたんだと思います。
でも…なんか行けなくて。
そうしてるうちに、永遠の別れってヤツが来ちゃう。


あのひねくれ者で心配性の重三郎ですから、
今もどっかで見ているだろう…と、
歌麿は重三郎に呼びかけます。

「お前の絵はまだか、お前の絵はまだかって…
 私はずっと自分の描きたいものを描いてたぞ!」
「お前が居なくても
 喜多川歌麿には何の影響もねーんだからなっ! 
 どうだ、ざまーみろ!」

というような言葉が、
彼女なりの「ありがとう」と「おやすみなさい」。
まったくもって、ひねくれコンビ。
歌麿も重三郎も、そういうところそっくりです。
だから、惹かれて、ぶつかるんですね。

ここで音楽とともに歌麿(彩子さん)が絵を描くんですが。
その横で、ちゃんと重三郎が見てるんですよ。

で、しばらく一人で見ているのですが、
重三郎、ふと手招きをして誰かを呼んでいる。
紫を呼んだのですね。
彩子さんがここにいるなら、そっか、紫も「いる」んだ。
得意げな顔をして歌麿と絵を指さし、
ふたり一緒に絵(=彼女のいのちの使い道=生き様)を見ています。

もうひとり、重三郎にあっちいけってされてるのが、一九。
音野くんもここにいますからね。一九も「いる」。
まぁ、一九はまだ江戸の世に生きてますから、
重三郎たちと一緒には見れないのですが…(笑

「役を兼ねすぎ」がここで作用して、震えました。


そんでもってやまちゃん公演、去り際に
重三郎が振り向いて頑張れよみたいな、あばよ、みたいな
すごくいい顔するものですから、
なんかもう、全部気持ちがそこに吸い込まれちゃって。
(末広湯の時は、振り向いてなかった…と思う)

で、歌麿の絵が完成して、
そこに貼り付けられる「紫屋歌麿」のタイトル。
江戸の人々が、彼女をこう呼んで
もてはやしたんだろうなという
にぎやかな景色を思い描きながら、終幕。


…とおもいきや! いきなり時は明治に移ります。
なんだなんだ、生まれ変わりか!? と思ったら、
そうやら次回公演の予告。
(間髪入れずにやるんですよ。なに、この切り替え力!?)


人の心を揺さぶって、笑わせて泣かせて。
こんなにまぶしい輝き方があるんだな、と
いろんなお芝居を観ては、毎回思います。


今回の公演に関わった人以外でも、
そう思える役者さんは東西にたくさん居て、
やはり私の人生に
「彼らを観る」という要素は不可欠なんだ、と再確認した次第。

あの人たちはもう、役者という生きもの。

さすがにここまで詳細に残すことは難しいけど、
彼らが生きていること。
そんな彼らを見た私がここにいること。
少しでも世界に刻みつけることが、
まいくろの「命の使い道」なんだと改めて思いました。
ま、結局、なんのかんので自分の存在証明(笑


『紫屋歌麿』についての感想は以上です。

出演者・スタッフの方々、
そして同じ空間にご一緒した方々、
そしてそして、この長い文章を読んでくださった方。

ほんとうに、ありがとうございました。
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://maikuro96.blog90.fc2.com/tb.php/1103-c33ee68e

«  | HOME |  »

最近の記事


カテゴリー


リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索


プロフィール

まいくろ

Author:まいくろ
ついったー:maikuro9696
(画像は7年前に描いたものです)