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『花と魚』 ネタバレ雑感

師走真っ盛り。
来週はクリスマス、再来週は年末なんですね。
…実感ないわぁ。
まいくろです。


さて先週の土曜日は
十七戦地 #7『花と魚』観てきました。

ロデオ★座★ヘヴンの
澤口渉さんが客演したことで知った劇団。
今回も客演しております。

脚本演出の柳井さんの作品は、
十七戦地の前回公演『眠る羊』
ロデオの『幻書奇譚』と、2作味わってます。
濃密、とあちこちで表現されていますが、
ほんとうにどっぷりと濃く、その世界に行けます。

現代劇だっていうのも理由の一つ。
でも、置かれてる状況は
政治家一族の話だったり博物館内の話だったり、
今回は限界集落で、私とはけっこう縁遠い場所。
それでも人間は人間なので気持ちは同じだし、
人物の背景をしっかりと作り込んであるんだなぁって
こちらに思わせる演技の細かさが、
舞台上とこちらの距離をぐっと縮めます。
実際に、どこかでこんなやりとりが行われてるのかも…
と、思わせてくれる距離感です。

あと、特に今回思ったのが、
突飛な設定や部屋の外・過去の出来事を、
舞台の手前奥で離れたの場所のことを同時に行う
「時空のゆがみ演出」を使わずに
(…と、私はよく言うんですけど名称あるんですかね)
言葉と表情だけなのに客席への説得力が強い。
けして説明口調でもないのに、
リアルな映像として脳裏に浮かびます。

あと、一つの言葉で
周りの人々が思い思いの反応を見せるのが細かい。
賛成か反対か、肯定か否定か。
次の言葉を聞く前に、彼らの顔を見るだけでわかります。


『幻書』の感想でも書いたかもしれないんですが…
「登場人物が各々の意志を持っていて
 一つの空間に居合わせている」感が、はっきりくっきり。
登場人物の存在は物語のピースではなくて。
語る言葉は、物語を進めるためのセリフじゃなくて。
彼らが今までの人生を送ってきた上で、
目の前の現象に対して発した言葉なんだなと思わせるのです。

まぁ長々と書いたんですが
短くまとめると「(舞台上で)生きてる」ってヤツ。

土曜に遠征、日曜に都内観劇にすれば
帰りも月曜の仕事もスムーズなのだけれど、
『花と魚』昼夜上演するの土曜しかなかったんですもの(笑
練り込まれた伏線、役者さんの細かい表情の変化など
観ごたえあるのでどうしても複数回観たかった…!


で、再々演となる今作『花と魚』。
十七戦地名義では初の作品で、
その時に劇作家協会新人戯曲賞をとったのだとか。
以前にも渉さんが客演で再演されたとき、
スケジュール合わなくて行けなくて。

座・高円寺版を観てきて思います。

あのときも観ておけば良かった!!!

今回と前回で渉さんが演じた役が違うってのも要因ですけど、
劇場の大きさや、それによる演出の違いを
今回の観劇で感じてみたかったなぁ…
というわけで来年以降に、
小さい空間でまた上演してくれないかな(*´∀`)




― 海に面し、三方を山に囲まれた小さな集落「坂根地区」。
そこで突如として起きた獣害。
その生物は、村人が外に干していた大根や漬け物、
水産会社で生産している干物などを夜な夜な食べてまわり、
住民に噛みついたという話も出ています。
「早々に駆除すべき」
「かけがえのない命だ、駆除以外に方法はあるはず」など、
住民の中でも意見が分かれています。

人間のすみかに害を及ぼしているとはいえ、
野生動物の駆除には、
法律で定められた条件を満たしていることが必要。
坂根の住人たちは、今回の件が駆除に値する被害レベルなのか
第三者機関に判定してもらうことにしました。

そこで呼ばれたのが酒田七生さん。
野生動物調査会社SEAの調査員です。

調査の結果、状況は第二段階。
対応は、柵などで野生動物を集落に寄せ付けないこと。
駆除には至らない、という判定です。

しかし、七生さんには気になることがあります。
集落をおそう生物の正体がはっきりしないのです。
住民たちに尋ねても、
暗くて見えなかったとか、素早くてわからなかったとか
要領を得ない答えばかり。

現場で唯一見つけた手がかり、
親指ほどの大きさウロコを住人たちに突きつける七生さん。
「ウロコ1枚でこの大きさなら、体長は2mにせまる…」

もう隠しきれないと悟った住民たちは、生物の写真を渡します。
そこに写っていた姿は ―


と、いうところから始まるおはなし。



↓ ネタバレ注意!



宮崎県のお話で、
方言がバリッッバリに効いていたのですが、
言わんとしていることはだいたいわかりました。
言葉はわからなくても表情みれば一目瞭然。
外部の機関からきた人や公務員など、
土着の人じゃない人物は方言じゃなかったので、
そっちの対応で推測することもできましたし。

やる気と元気いっぱいでポジティブ思考の所長(@渉さん)や、
のらりくらりで責任感の薄い会長(@鶴町さん)のおかげで、
専門用語の説明もわかりやすく言い直されて、身近に。
難しいイメージは全くありませんでした。


作中に
「起きるはずのないことが、簡単に起きる世界」
という言葉が出てきます。

それは謎の生物が人間の集落に出没することだったり、
口蹄疫の蔓延だったり、原発事故だったり、
あるいは天変地異だったり、世界の終わりだったり。
今夜布団に入って眠って、
目覚める明日が確実に来るという保証は
どこにもないんですよね。

「足の生えた魚」という
ファンタジックな存在を登場させつつ、
その姿自体を終盤まで
こちらに見せずに想像力にまかせたところがね。
うまいなぁって思いました。
未知のもの(放射能汚染・口蹄疫・地震・神・他人など)への
わからないから怖い、おそれるという感覚を、
舞台上と客席でリンクさせています。


感情移入する対象が変わることで、
同じ事象なのに全く別の印象になるのも面白かったです。

今、私が感じている感覚は、
誰(なに)から見たものなのか…とか、
頭の片隅で考えながら観ていました。
まぁぼんやり考えてただけで、
基本、メインスポットが当たる人物の心情を転々として
そのたびに彼らの事情を知って泣いていたのですが。

集落に対する愛憎の変遷とか、
命の重さを声高に叫んでいた自分の甘さを知った瞬間とか。
お魚と人間は共存できると主張していた自分が
集落の人間の諍いをとめるために「魚」を殺そうと決断し、
その手で魚の死骸を引きずって歩くところとか。
返せなかったタオルとか、諦めた夢と新しい夢とか。
正当に評価されてほしい故についた嘘とか、
離れていても守りたいから渡した愛と木々とか、
やり残したものとか、見届けたかったものとか、
認めたくなくて逃げていたのかもしれない自分の力不足とか、
ほかにも、いっぱい、いっぱい。

でも、そうやって泣くことすら
別の立場から見たら「エゴ」なんじゃ…と思わされたり。
重大な問題だったものが、
話が進むごとに小さいことに感じられたり、
逆に、小さかった問題が
最終的にとてつもない驚異として我々にのしかかってくる。
視野は広がっていたのか、それとも狭まっていたのか…


「神の帰りを待つ一族」花ちゃん(@藤原さん)のこと。
神楽の舞い手、とあったので、勝手に未成年認定してました。
役者さんの実年齢は存じ上げませんが、
おそらく10代ではないはず。
しかし10代と思えてしまうほどの無垢さでした。

そんな花ちゃん、時々ふと大人びた表情をします。
幼い頃に起きた一件が関係しているのだと思います。
(「村のことを甘く考えちゃ駄目」ってな時の幼さったら!)

でも、終盤に
「世界が終わるたびに花の香りが…」
って感じのことを言うんですね。
まるで何度も、体験してきたかのような口振り。

これはもう、想像なんですけど。

彼女は同じ魂として記憶を保ったたまま
何度も生まれて生きて、
何回も世界の終わりを見続けているのでしょうか。
彼女が生まれたタイミングが世界の終わりなのでしょうか。

それとも、
世界の終わりのタイミングの時に生きている一族の者に
すべての記憶が降りるのでしょうか。
(だとしたら、
 涼子ママはそれに耐えきれず逃亡した可能性もある…?)

花ちゃん、涙、かれてしまったのかな。
最後まであらがおうとする七生に対しても、
もうすべて諦めているような雰囲気でした。

夕暮れの中、それでも諦めようとしない七生さんに、
人間の絵を渡します。
「人間」の前にこの世界に生きた者たちが、
姿を石像にして残したように、
花ちゃんも「人間」がこの世界にいた証を残そうとしてました。
争いながらも、群れる不思議な生き物。
殺す相手を思い、涙する不思議な生き物。

自身で持たずに七生に託したのは、
彼女の中に希望が芽生えたから。

2年前にも芽生えたのであろうそれが、
花開いたのかどうかは描かれません。



この集落に起きた一連の事件から始まった「現象」を
悲しいと思うか否か、美しいと思うか否かは
観た人の個性や考え方の違いがでると思います。

まいくろは初見で「地球は、優しいな」と思いました。

世界の終わりって、毒とか爆発とかで
みんな苦しんで死んじゃうイメージを持っていました。
でも人間たちは、
ただ静かに唐突に魚になって、海に戻るんです。
生命は海の底で化学反応から生まれたといいます。
地に満ちて、資源を浪費し、他の生物を殺し、
あるいは同種でも殺し合う生物、人間。
そんな生物に、痛みや苦痛という罰を与えずに
「地球の生命の一つ」としてカウントして
スタート地点に戻してくれるんだ…と。


で、2回目観劇で、
「これは、はたして地球の優しさなんだろうか」と。

苦痛は無くても、前触れなく、
持ち物も他人との関係性も
築いた文化も「人間として暮らす明日」も失って、
死と何が違うんだろうか、
これ自体が罰なんじゃないかって。
でもこれを罰だと思うのはあくまでも人間からの視点で、
地球側に立ってみたらそこに罪も罰もなく
ただの「深呼吸」程度のことなのかなぁ…とか。



人間たちが魚になっていく時の演出が、とても好きでした。

靴という人間独自のものを脱ぐ=人間以外のものになる。
波にのり、みんな魚の顔になって海に消えていきます。
そして、陸に残った靴。
七生さんがその靴の一つ一つに目を向けながら
「人間としての最後」の様子を
花ちゃんに語るシーンは涙を誘います。
殺した「魚」一体一体の事を語った時とダブるような彼の声は、
靴の周辺に、
かつて人間として生きていた彼らの姿を映し出していました。



終わってからチラシ画像を見ると、切なくなります。
でも、観て良かった。
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