『漏れて100年』ネタバレ感想

3週連続遠征、2週目の大阪からこんばんは。
まいくろです。
さてこれから観劇なのですが、
その前に先週日曜のソワレ(夜公演)の感想をば。

突劇金魚 16回本公演
『漏れて100年』観てきました。

突劇金魚は、
「ここの劇団が公演をやる」っていうだけで
あらすじ・キャスト関係なしに
遠征して観にいこうと思える劇団です。

面白いっていうか、ほかの劇団や役者さんでは
代わりにならない魅力があるなぁって思ってます。
とぼけた口調なのに、言ってることダークだったり、
叫んでるのになんだかベクトルが妙にズレてたり。


9月末に伊丹(AI・HALL)で、
そして11月末~12月頭に東京(こまばアゴラ劇場)で。
同一作品を2都市で観るのはなかなか無い経験でした。
伊丹公演から東京公演に期間があり、
台本や演出も一部変更されていました。
私自身も別作品を観劇しまくっていたこともあって、
記憶がいい感じに薄れていての再会。
(記事カテゴリを都内と遠征どっちにしようか悩んだけど、
 突金の本拠地が関西なので遠征扱いにしました)


今回は「終末」後の世界…って感じでしょうか。
タイトルの「漏れて」は、
台本買ったら何から漏れたのか書いてあったのですが、
私の初見の印象は
「生めよ増やせよ種を残せ、の
 生き物のサイクルから漏れた」でした。
途中で、毒(放射性物質)が漏れた?
みたいなニュアンスの描写も描かれてましたが、
100年のカウントは
主人公の「さち(@山田まさゆきさん)」を追っていた感じ。

白で作られた箱の上、
背後の壁に0から100までカウントが映されます。
1カウント1年。
(東京公演では
 開場時に「ー5」からカウントが始まってました)

一番前の席だと、箱の奥側とカウントが見えなそうだな…
ということで、
伊丹では少し奥側の段差席で観劇。
東京公演も段差のある席で観劇しましたが、
劇場の大きさが小さくなったこともあり、かなり距離が近く感じました。


↓ ネタバレ注意!



伊丹公演では、
「さち」が「仙人」に連れられて歩くところから。
(仙人はWキャストで、伊丹では片桐慎和子さん、
 東京ではサリngROCKさんが演じてました)

東京公演は「ー1」と「0」の間の場面として、
さちの街に星が墜ちてきたのを
「ゆめ(@埜本幸良さん)」が
遠くから見ているシーンが入っていました。
そのほかに、家族団らんの影が入るシーンが増えていたり、
ラジカセやポータブルプレイヤーなど
「文明」の香りや、
「音」に関する機械が出てきたりも追加要素だったような。

あと東京公演では「汁」(果汁・体液)の出てくる場面で
本当に液体を使っていて、
(伊丹でも使ってたっけ…? 遠くて見逃したのかも)
ぼたぼたと落ちる音まで聞こえてきまして。
汚いなって思う感情も含めて、
生物の生々しさを感じました。
物語では省略されるけど、
実際生きるだけで色々たれ流されるんだよ、みたいな。
ちょっと品がない俗っぽい言い方すると
「アイドルはトイレ行かない」と信じてる人に
悪意無く、そのアイドルが個室に入る写真を渡す…
みたいな感覚を受けました。

あれを汚いって思うのは、
たぶん私がまだ、文明の中にいるから。
「さち」や「ゆめ」のようにあの世界に存在していたら、
そんなこと思わないというか、思う暇ないんだろうな。


街から漏れて、山で仙人と暮らす、さちとゆめ。
親からつけられた名前は仙人に上書きされて、
日々の中で名前も文字も忘れていきます。
文化的な繁栄をしていた人間が、
ニンゲンという生き物になっていくなぁ、と。

仙人は自分のことを「親」といい、
血がつながらないゆめとさち、
その後登場する赤子「うた」を、兄弟としています。
家族になろうとしてたのかな。
そのわりに、増えていく虫を殺してまわったり、
ゆめやさちに性的な目覚めが訪れると
それを「生きる呪い」って嫌悪しているんですよね。
実は、その目覚めのシーン。
伊丹公演では
仙人の日記見るまで何してるか全然わかりませんでした(笑
あの辺でちょっとおいて行かれて、
さちが日記読むシーンで「あぁああああ!」って(゚Д゚;


次代に繋げること、
増えることを運命づけられたすべての生物。
次に繋げるためだけに生まれたなら、
なんで私たちは現状を謳歌するんだろう…?
健康を保つのは自分自身のため?
それとも次代を健康に生むため?
私たちは、ただの遺伝子の運び屋なんだろうか。
次代に繋げられない命には、価値がないのか…?
など、私情を交えて考えたりしました。


伊丹公演の仙人は高齢ゆえに子供ができない、
東京公演の仙人は
体質要因で子供ができなかった、という印象を受けました。
彼女が死に際
「仙人は世界になんかしたんか」てな事を言い残すのですが
日記の内容もふくめて
彼女が感じていた焦りとか無力感とかが刺さりました。
(仙人は東京でも高齢設定なんですけど、
 若く見えたのはやっぱり眼力なのかなぁ…)


途中で出てくる赤ちゃん「うた」は
さらわれた「無限(@緒方晋さん)」の子供なのかな。
そうしたら役者の人数的な問題っていう話じゃなく、
彼が「うた」を動かしてたってのも合点がいったりします。
生きる気力を失いかけた無限が、
さちが植物で作った「うたの人形」を見て、
無限に元気が出たのを見て、
そしてその人形を青鬼に食べられて憔悴したのも見て、
群れとか家族とかは、生き物を強くするけど
同時に弱くもするんだなぁとか考えたりしました。
無限がナニしてて
「体がこうやって反応するのは、
 どこかに相手(女)がいるから」
って理論を展開するのを聞いて
ロマンチストだなぁ…と思ったり。
その前に、
友達の奥さんに横恋慕してるのを聞いてたから余計かも。

そうそう、青鬼は、なんで青鬼だったんでしょうね。
幼いさちが、
かつて実の母親から聞いたおとぎ話が彼の体に残っていて、
正体不明の生き物を「そう」見せてたのかなっていうのが
私の勝手な想像です。


彼が死に際に見た家族の肖像、
話してる言葉や環境は違うけど、
さちのおかれた環境を今の私たちのところに持ってきただけで
内容的には同じだったんだなぁ…と思ったら、
なんとなく涙が出てきました。

結局さちは次代を残すことはできず息絶えてるのですが、
彼の体はほかの生物の糧となって
生態系サイクルに組み込まれていきました。
漏れて100年ののち、また繋がる…みたいな。
「ありがとう、人生」という彼の言葉に、
生物の本能ではなく、文化的な魂を感じました。


BGMがあまり無く、たんたんと進んでいくので
若干意識がふわっとしそうだったのが正直なところ。
ただ、山あり谷ありの人生も、
こうやってまとめると、一定なのかもなぁ…なんて。



伊丹公演と東京公演と両方(各々のバージョン)で台本を発売したり、
早期チケット予約者にはプチプレゼントがついたり、
女子ってだけで受付でプレゼントがもらえたり、
突金は開演前にも終演後にも楽しみが多いのがうれしい。

次回本公演は未定ですが、そのときはまた遠征するんだろうなぁ、私。
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